これもまた、三角関係







町を一度離れてから、だいぶ人里から遠ざかってしまったようで、辺りに町などは全く見られなかった。
頭上で小鳥たちの囀る声がよく聞こえる。川は澄んでいて呑み水にできたし、空気はとても心地良い。だが、一つ問題があった。


「あーあ、今日も野宿かぁ…」
セインは癖のついた髪をいじり、独り言のように呟く。辺りは相変わらず木々の生い茂る獣道で、民家の一つも見えない。そう言うセインの気持ちはよく分かったが、この状況はどうにも致し難い。
「仕方がないだろう、これも暫くの辛抱だ。おそらくあと数日で町に着く筈…」
地図を見ながらケントはセインを宥める。確かにそろそろ体が汗臭くなってくる頃だ。それに、体の節々がだいぶ痛い。疲れが取れ切っていないのだ。
「そろそろちゃんとした部屋のベッドで寝たいなあー」
「我慢しろ、もう少し………?」
「あれ?」
二人の前方で、もぞもぞと動く白い何か。




みー




「……猫?」
「…みたいだね」
二人の前に現れたのは、まだ幼い、白い子猫。だいぶ土埃などで汚れていたが、まだそれ程衰弱しているふうにも見えなかった。
「こんな山の中に、何で居るんだ?」
「迷子になったのかもしれないな…」

みー

「おいで、ほら…」
ケントは馬から降り、そっと手を伸ばして猫に近付く。猫は最初はおどおどとしていた様子だったが、やがて平気だと悟ったのかおそるおそる近付いてきた。
大人しく腕の中に収まった猫を、ゆっくりとケントは撫でてやる。
「どうしようか?」
「そうだな…このまま放っておいても死んでしまうだろうし、町まで連れていってやってもいいだろう」
「ん。そだね」
セインは眩しそうに空を見上げ、ぼんやりと息をつく。こんなのんびりでいいのだろうか、と思うほどに時間の流れはゆっくりで。
城に居た頃には到底考えられないくらい、自分を取り巻く世界は穏やかで。
こんなにも近くに、セインが居ただろうか。
「どしたの」
「あ?ああ」
「何か考えてた?」
セインはふんわりと笑う。こんなに近くで、セインはいつも笑っていただろうか。明るい日差しの様に、ふわりふわりと柔らかく微笑むのは、何故だろう。
何故か、今までよりもずっと私には眩しく感じるものになった。何処か、心の隅を擽られるかのような。少しだけくすぐったくて、少しだけ締め付けられるような。
「別に。」
「そう?」
セインはくるくると瞳にさまざまな色を映し、あっちに綺麗な花が咲いてるだの、今さっき兎が走っていっただのと、他愛もない事を話してくる。
そんな話に軽く相槌を打ちながら、二人と一匹は森の中を進んでいった。と、セインがふいにくんくんと鼻を利かせる。
「どうした?」
「ん…なんか、やばいかも。」
「何が…」
「土の匂いが酷くするんだ。雨が近くなってきてるかもしんない」
「な…」
「急ごう。」
セインはくいっと馬の手綱を引き、速足でケントの前を行く。このまま土砂降りにでも見舞われたら堪らない。
そういえば、セインはこういう事には敏感だったか、と思い出す。城に居た時もよくサボっては雨が降ってくるなどとを皆に知らせて、最後に自分は雨に見舞われて。
「?どしたの、ケント」
「…いや、何でもない。」
口元に笑みが浮かぶのを抑えながら、きゅっと子猫を抱き締める腕に力を込めると、子猫は腕の中でみー、と小さく鳴いた。




幸い、セインが天気の変化にいち早く気付いてくれたお陰で、すぐに雨宿りできる場所が見つかり、とりあえず馬達には申し訳ないがそこで一夜を明ける事にした。
どうする事も出来ず、そのまま大木の根元に出来た自然の穴に潜り込む様にして座り込む。
みー、と不安そうに鳴く子猫に、「大丈夫だから、」とそっと包み込んでやる。何度も何度も背中を撫でてあげていると、やがてすぅっと眠りに落ちたようだった。
そんなケントの様子をセインはじっと見つめ、
「ケントの腕の中で温かそうだねぇ。」
とぽつりと呟いた。
「何だ、お前も寒いのか?」
「…そう、かもね」
そう呟いたセインの瞳は先程とは少し違って、何処か寂しそうな色を灯していた。そんな彼の表情に僅かにどきっとする。
普段からいつもへらへらと笑う笑顔ばかり見せていたから、以外だった。何だか、落ち着かない。
「ケントは平気?」
「あ、…ああ」
「そっか」
セインは再びにこりと笑う。何故だ。どうしてお前はそんな表面上だけの笑顔で本当の顔を隠すのだ?
私はそんなお前の表情を見たい訳ではないんだ。私が見たいのは……
「ケント、何考えてる?」
ふいにセインが口を開く。僅かに湿った唇が赤い。そして酷く穏やかに、優しい口調のままで。
ケントは、思う。何故だか分からないが、セインは寂しそうに微笑んでいる。私を見て。私が何かお前にしたのか?お前は、何処かで傷ついているのか?
私が原因なのか?分からない。分からない、お前の気持ちが。
「……お前の事だ」
「どうして?」
穏やかにゆるゆると柔らかな光を灯した彼の瞳を見つめる。酷く悲しい、寂しいその瞳を。それなのに、その瞳は酷く綺麗な光を灯している。
「お前が、そんな顔をするからだ」
そんな、寂しそうな、顔を。
「…そう見える?」
セインの目が細められる。
「私が……何か、お前にしたのか?」
「どうしてそう思うの?」
セインの口調はいつもよりもずっと、優しい。優しいからこそ、何処かで心をチクリと刺す。気の所為か、瞳までもが優しい様な気がする。
「分からない。…だが、何となく、そう思ったんだ」
すると、セインはそっとケントに体を寄せ、そっと抱き付いてきた。
「お、おいセイン?」
「………ごめん」
「何故?謝るんだ、」
「…少し、嫉妬した。その子猫に」
お前が、愛しいような目つきで構っていたから…

嫉妬?何故、子猫にその様な感情を抱くのだ?お前はそんな奴だったか。

「……」
「ごめん、な」
「セイン?セイン……何で」
言葉を出し切る前に、ふっと唇が何かに触れて塞がった。
何だか温かい。吐息が、すぐ近くで、触れる。彼の体温が、伝わってくる。ケントの体に触れてくる彼の体は、僅かに震えている気がした。
「………ごめん」
セインは、ゆるゆるとケントの頬に手を伸ばし、優しく包み込んでくる。その手が酷く愛しんでくるようで、思わずケントはびくっと身を震わせた。
耳元で、雨が落ちる音がする。


「セイン?」
「好きなんだ」
「…え、」
「お前が、好きなんだ」



―――何故だろう、と思った。
本来なら軽蔑して当たり前の言葉なのだろう。なのに。
私はどうしてか拒む気にはなれなかった。それよりも、驚きと――ほんの僅かの、喜びの様な。

どうして、お前はそんなにも泣きそうな顔で、言葉を吐くんだ。
今にも、屑折れてしまいそうなくらいの、顔で。お前が何よりも好きなのは、女性ではなかったのか?
拒まれる事を分かっていて、言っているのだろう。それほど、彼には苦しかった想いだったのだろう。


そんな必死なお前を見てしまって、どうして拒めるのか。




「そんな顔を、しないでくれ……」
「ごめんな、好きになって…本当に、」
「謝るな、セイン」
そっと、彼の柔らかい髪に触れる。私は、お前の。
しっかりと、彼の瞳を見つめる。私は、私は………
「私は、お前に笑っていてほしい。いつものように、明るい笑顔で、いてほしい。だから、」


だから、どうか。



「こんな私でもお前の力になれるなら、何にだって、なってやる……」


お前が、本当の笑顔で居られるならば。それだけで、いいから。
それ以上、何を望めというのだろう………



「…ケント」
セインは、笑った。

今までで一番の、笑顔で。そんなお前の美しい瞳が、私は何より好きだという事に気付くのは今更で。
ああ、私でいいなら。私がお前を笑顔にしてやれるなら、私はそれで幸せなんだ。
セインの掌が私の顔をそっと包み、再びキスをした。
ああ、どうしよう。どうすればいい。きっと、今私は顔を真っ赤にしてお前の前に存在しているのだろう。気の所為か体中が熱い気がする。
セインは本当に嬉しそうで、やっぱりそんなお前の事を、私もまた好きなのだろうな、そう思った。

「どうしよう。俺、すっごい嬉しい。」
「私も、お前を好きになれて、よかった。」
外は雨が降っていて、寒い筈なのに、何故か温かい。この温もりが、堪らなく愛しい。
「大好き。ずっと、お前を愛してた」
「…きっと、私も、そうだった。」
腕の中に抱かれた子猫は眠ったままで、その事もすっかり忘れて何度も二人は口付けを交わし合った。瞳と瞳の色が、混ざってやがて溶け合う。
見た事のない色。きっと、もうこの温もりを知ってしまったら、二度と離せない。離したく、ない。





翌日、雨はいつしか止み、草木には澄んだ雫が伝って地に落ちていった。地に染み込んでいく水が、酷く儚い。
見える間もなく姿を消し、新たな命を育む源となってゆく。きらきらと輝く光は、まるで晴れ渡った二人の気持ちの様に、美しく映えていた。
「……行こう、ケント。」
「ああ。」
滑らかに、滑り込む互いの手。昨日までとは、違う関係で。
けれども、今までよりもずっと傍で。



どうか、二度とこの手を離しませんように。
私が、貴方と共に在れますように。



他には何も望まないから、ただ貴方と、在れますように。




眩しいくらいの朝日に向かって、声にならない願いを、想った。























つづく


これから更に甘くなっていくだろうな…!どこまでいくつもりなんだろう(笑 2011,10,9

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